2020年の東京オリンピックまで2年。わずか2年に迫ってます!
2018年、胸の高鳴るchantaです。
1964年の東京オリンピックでは、開催前の期待感は現代と比べ物にならなかったはず。現在と比べてみたい。そんな気持ちで、当時のオリンピックまで2年に迫った1962年を調べてました。
その中で、我が岐阜県にビッグニュースがあったことを発見。
【日本横断運河の建設】
計画倒れになってしまったけれど、胸が高鳴る計画。
日本横断運河について
1962年に発表されたビッグプロジェクト案。それは、日本海と太平洋を結ぶ運河の建設。日本という土地をぶった切るような感じ!!
ルートは、福井の敦賀湾から琵琶湖、そこから岐阜県を通り三重県桑名市の伊勢湾へ。

こんな感じ。
このプロジェクトを動かそうとしていたのは、当時の自民党副総裁。岐阜県羽島市に新幹線の駅を造らせた、大野伴睦。
建設省や運輸省にも話を持ち込んでたようです。やる気満々!
そうなると、地元の関係機関も乗ってきた。岐阜・愛知・三重・滋賀・福井の5県と、岐阜・大垣・長浜・敦賀・四日市の市が日本横断運河建設既成同盟を結成。そのトップは大野伴睦。なんとも心強いトップ。
この翌年度には、調査費用として国家予算に計上されます。
更に翌年度、パナマ運河の建設に関わった技師であるG・Y・アンダーソンが視察に訪れる。どんどん具現化する。海なし県である岐阜に港が出来る!
そんな期待が高まる中、1964年に大野伴睦が急死。それと共に、この計画はフェードアウトしたようです。
日本横断運河。もし完成していたら、東海地方に不動産バブルが訪れたことでしょう。
実現はしませんでしたが、なんかワクワクするものだった。夢を見させてくれるトップって良いですね。
そんな大野伴睦さんに関連する記事。
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