皆さん、こんにちは。岐阜県観光連盟の公式サイトで岐阜の遊べる場所を記事にしている”ちゃんた”です。このブログでは岐阜の観光やグルメ情報、親子ゲーム情報を更新しています。
2018年1月7日から始まる大河ドラマ「西郷どん」。明治維新三傑のひとり、西郷隆盛の物語。絶対に楽しいはず。「西郷どん」の制作発表があって以来、首を長くして待ち侘びてました。もう去年の9月くらいから待ちきれなくて、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を5巻くらいまで読んでしまったほどに。
さて、西郷隆盛といえば薩摩藩。
今回の大河を観るうえで、薩摩藩が幕府を倒す背景を知っていれば、より楽しむ事ができるはず。我が岐阜県にも、薩摩藩ゆかりの地が何ヵ所かあります。代表的なのが「関ヶ原」と「治水神社」。
今回は治水神社を訪れ、薩摩藩が募らせていた徳川幕府への感情に思いを馳せてきます。今年の大河を、より楽しむために。
治水神社
所在地は岐阜県海津市海津町油島。昭和13年に建立された神社です。祀られているのは平田靱負や、治水工事で亡くなった薩摩義士たち。
この治水工事とは、1754年頃より始まった工事。薩摩藩が、徳川幕府に対する憎しみを深めた一因だったことでしょう。
木曽三川治水工事
岐阜県には大きな河川が3つあります。木曽川・長良川・揖斐川。現在は堤防が建設されているため、3つの川はそのまま伊勢湾へ流れます。しかし、元は現在の海津市で3つの川が1本に合流していました。そのため、大雨が降ると合流する近辺の土地は、大きな水害が起きます。その水害を減らすために、3つの川の流れを変えようという工事が木曽三川治水工事。
徳川幕府が発注した公共工事のようなものです。なぜか薩摩藩へ発注。鹿児島県から岐阜県までメチャクチャ遠いのに。ちなみに工事費用は薩摩藩が捻出。これは公共工事じゃないですね。幕府から藩に対する命令。藩が幕府に逆らえなくするよう、藩財を使わせるための命令。参勤交代のようなもの。この命令の中で、薩摩の伝統ある男気を踏みにじる事がいくつか起きます。
予算詐欺
徳川幕府の積算では、この工事は30万両かかるものでした。しかし、薩摩藩には15万両で完成すると嘘をつきます。薩摩藩は、7万両を大阪商人から借り入れ工事に臨みます。当時の1両は、現在では約5万円ほどの価値があったそうです。約75億円ほどの大詐欺。
しかし、最終的には40万両ほどが必要になりました。200億円・・・
幕府側が故意に工事を遅らせる
なぜ40万両も掛かったのか?
それは、幕府側の役人が工事途中の堤防を故意に壊す工作をしたから。理由は工事を引き延ばし、たくさんのお金を使わせて薩摩藩を疲弊させるため。
この陰険な仕打ちに、潔さが信条の薩摩人は、怒り爆発寸前。しかし、幕府役人をやっつけてしまえば、それに因縁をつけ薩摩藩に罰を与える。徳川の思う壺。感情を押し殺して我慢・・・
作業員、さぼる
現場作業員として雇われたのは、地元農民。その中の一部が、仕事をさぼって工事を遅延させます。動機は雇われる日数を長くして、日銭を稼ぐため。岐阜県民として恥ずべき事。
倒幕気分、盛り上がってきた
陰険な徳川幕府に対して、一矢報いたい気持ちが湧いてきました。私の中に。
これが弾圧なのか・・・
平凡な人生を送ってきた私にも、闘志が湧いてきます。
しかし、実際に倒幕を果たすのは、この工事から約100年後。その間にも、幕府からの嫌がらせは沢山あったことでしょう。
例えるなら、当時の薩摩人は腕が上がらなくなるほど振り続けたシャンパン。。誰かがコルクにきっかけを与えれば、景気よく暴発します。
今回の大河ドラマを通じて、私もそのシャンパンになりたい。気分爽快に噴射!
その準備が、治水神社へ参拝することで整いました。
千本松原・宝暦治水之碑
治水神社の奥には、松並木の間に敷かれた石畳があります。遊歩道として1~2km続いてたはず。その先には、宝暦治水之碑があります。
すごく行きたかった。けど、木曽三川公園で遊びたいばかりの5歳と2歳の息子達・歴史に無関心な嫁が一緒。しかも極寒。今回は諦めました。
私は小学生の頃に、社会見学でそこを訪れています。30年近く前の記憶があるという事は、印象的な場所だったんでしょう。
ちなみに、宝暦治水之碑は明治33年に建立されました。当時の総理大臣・山県有朋や、隆盛の弟・西郷従道も建立セレモニーに参加されたみたい。「西郷どん」に登場するであろう重要メンバーですね。
とくに山県有朋は、自身が失脚した際、西郷隆盛に助けてもらってますからね。そういう義理も感じて、遠い岐阜県の、山県の故郷ではない鹿児島のために開催された式典に出席したのかも。
治水神社を訪れた際には、是非こちらにも足を延ばしてみてください。