今回の記事は、歴史好き・城好きな方へお勧めします。美濃金山城跡。その名の通り城はありません。跡地です。
城が無いとこ行ったって何にも楽しくないでしょ?何を見ればいいの?
あなたはどうですか?城、無いんですよ?現在は空き地みたいなものです。私も城跡について、これまでは一生行かんわって考えていました。はい、まったく食わず嫌いでした。見直したよ、城跡。
城跡って、こんなにもロマンに溢れていたなんて。城跡って、心の目で見るもんなんですね。ちなみに私は、映画を見るよりも、原作を本で読む方が好きな人間です。そんな私が美濃金山城跡を紹介していきます。
美濃金山城跡へ行ってきた
戦国時代を生き抜いた森可成・蘭丸らが居城とした、美濃金山城。その跡地が、「蘭丸ふるさとの森」として整備された公園になっています。場所は岐阜県可児市。ここは山城ですので、見晴らしが良いですよ。
城跡へ行った動機
私は城跡に全く興味がありませんでした。なぜ金山城跡へ出かけたのか?それは、司馬遼太郎の小説に金山城が登場したから。たしか「国盗り物語」だったかな?
おやおや、金山城って車ですぐ行けるじゃないか。行ってみるかね。
城跡の楽しみ方
事前に歴史を勉強していくことをお勧めします。歴史背景が頭になければ、城跡はただの空き地。自分の興味がある人物に関係する場所であれば、なお良いと思います。
ちなみに金山城は、斎藤道三、織田信長、森可成・蘭丸、犬山城などが関連してきます。
金山城の歴史
- 1537年 斎藤道三の猶子(血の繋がりのある養子みたいなもの)である斎藤大納言によって築城
- 当時は烏峰城(からすみねじょう)と呼ばれた
- 1565年 織田信長より森可成(よしなり)へ城が与えられ、金山城と呼ばれるようになる
- 森可成が、宇佐山城の戦いで浅井・朝倉に討たれた後は、次男の森長可(ながよし)が城主
- 1582年3月 武田攻めのため出陣した織田信長は、道中に金山城で一泊する(同年6月には本能寺の変)
- 江戸時代に入り、犬山城主であった小笠原吉次が金山城を破城
金山城跡への入り口です。
破城後の歴史
昭和10年代には、金山城の諸施設が犬山城へ移築されたという説「金山越」の検証がされました。金山城の本天守跡を実測・調査し、考察の末、土屋純一・城戸久らにより結論が出されます。
「金山城から犬山城への築城があった」
しかし、昭和36年から40年にかけて、犬山城の解体修理が行われた際にこの説は否定されてしまいました。
私は金山城が解体され、その材料が木曽川を下り、下流にある犬山城で再び蘇った説を信じていきたいです。その方がロマンがありますからね。
石垣跡。
史跡への指定
- 昭和38年11月22日 旧兼山町の史跡に指定
- 昭和42年11月13日 岐阜県の史跡に指定
- 平成25年10月17日 国の史跡に指定
城跡。山城なので景色は良いし、奥は絶壁。きっと守りの強い城だったんでしょうね。
金山城跡の礎石。歴史背景を頭に入れて城跡へ訪れると、心の目で城が見えます。私などは、織田信長までも見えました。心の目でね。ちなみに江口洋介でした。
中日兼山キャンプ村
昭和32年7月12日から9月15日まで、兼山町観光協会と中部日本新聞社(現中日新聞)が共同主催で、「中日兼山キャンプ村」というイベントを開催します(後援は名古屋鉄道)。このイベントは、その後数年夏の時期に開催されたようです。なんと、城跡にバンガロー村を造っちゃいました。まだ史跡に指定される前ですしね。
もしかしたら、城跡でキャンプファイヤーをして、フォークソングでも歌っていたのかも。なんてったって岐阜県は、野外フェスの原点だと言われていますから。
発掘調査
平成18年から22年にかけて、金山城跡の発掘調査が行われました。この調査結果は、「金山城跡発掘調査報告書2013」として、可児市教育委員会が本にまとめます。この本を読むと、発掘された中には、森家の紋である鶴が施された瓦もありましたよ。
※ちなみに本記事は、「金山城跡発掘調査報告書2013」を参考にしています。
蘭丸ふるさとの森
金山城跡の麓は、「蘭丸ふるさとの森」として整備されています。芝生がきれいで、遊具もあり、散歩道もあり、物見櫓まであるんですよ。
全景です。
物見櫓。
物見櫓からの風景。可児市が見渡せます。煙突が見えるのは、大王製紙の工場です。
この公園の斜面には、沢山の桜がありますので、春にはとても綺麗に咲き誇ります。桜まつりも行われており、沢山の人が訪れますよ。
ちなみに、屋根付きでバーベキューができる場所もあります!しかも無料!
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あなたが行きたい岐阜の観光地や飲食店を教えて下さい!次回記事の参考にさせて頂きます。今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました♪